コロナ 整体。 コロナウィルス!!!

コロナウィルス感染予防対策について

コロナ 整体

新型コロナウィルスの主たる感染要因は 「飛沫感染」と「接触感染」といわれています。 みどり出張整体では、下記の通り予防に努めさせていただいています。 ・飛沫感染の対策として 訪問時、施術時、共にマスクの着用をさせていただいております。 初めて訪問させていただく場合においては、一度マスクを外し、ご挨拶をさせていただきたいとは考えています。 ご了承をいただいたうえ、マスクを外してのご挨拶をさせていただきます。 ・接触感染の対策として 除菌消毒液(アルコール液)を持参して訪問いたします。 訪問時、玄関で手指の消毒をしたうえで入室させていただきます。 ・施術道具に関して 施術使用後、毎回除菌ウェットティッシュで拭き上げております。 ・施術タオルに関して 毎回の洗濯によって、清潔さを保ったものを使用しております。 ・お支払いに関して ペイペイでのキャッシュレス決済が可能です。 現金の受け渡しにより、間接的な接触感染になってしまう恐れがあります。 現金の受け渡しに不安を感じるお客様は、ペイペイでの決済をご利用ください。 (クレジットカードでの支払いは対応していません、ご了承ください。

次の

新型コロナウィルス対策と皆さまへのお願い

コロナ 整体

患者サイド 患者さん視点から鍼灸マッサージ院、接骨院、整体院の注意点を書いていきます。 個室の個人店であれば基本的には大丈夫 一人ひとり施術を行う個人店であれば大丈夫でしょう。 いまのところコロナウイルスに感染する条件は、「密室」に「不特定多数」が集まり、「大騒ぎする」環境に限定されています。 具体的にはライブハウスや屋内スポーツ、トレーニングジム、カラオケボックス等です。 うちは予約制で一人ずつ施術を行う規模の小さな個人店なので、ベッドが一台しかありません。 また、室内は常に換気扇を回しており、枕やベッド等は必ず患者さん毎に消毒を行っています。 更に枕カバーやシーツは使い捨てです。 よって、上記の三大条件には合致しないので新型コロナウイルスは感染のしようがありません。 だだし、整体院は個人店でもNGです。 整体院 整体師 とは、国家資格の「あん摩マッサージ指圧師」を取らずに同様の仕事をしている輩を指します。 車で例えると無免許運転状態です。 この様な危険な人間には近づかない事を推奨します。 危険は鍼灸院、接骨院、整体院も多い 新型コロナの自粛要請の対象外になっているので、基本的に国家資格が必要な鍼灸院、接骨院は安全なのですが、大手、いわゆるワンフロアに複数のベッドが並んでいる所は注意が必要です。 私は元々規模が大きなところに勤務していたのですが、不特定多数の人が利用する施設は数をこなさないと元が取れないため、消毒やシーツ交換をせずに次々と患者さんをベッドに案内していました。 また、別の患者さんがすぐ隣で治療を受けているので人口密度が極めて高く、高齢者と施術者が大きな声で話すケースが多いので飛沫感染の可能性も極めて高くなります。 それなりに努力している大型店もありますが、衛生管理が完璧だとは言いづらい状況です。 NGな鍼灸院、接骨院、整体院の例 イメージ写真 自分の身は自分で守ろう 以上が私の考えです。 普段、薄利多売の接骨院や整体院に通っている方は、この機会にワンランクもツーランクも上な個人経営店に行ってみては如何でしょうか? 衛生管理を怠っている安い店舗に行って健康を害してしまっては元も子もないです。 個人店は量より質なのでワンコインというわけには行きませんが、それ相当の価値があると思います。 施術者サイド 施術者や経営者側が気をつけなければいけない点を記載します。 消毒・換気 とにかく室内や人体を清潔に保つことです。 徹底的に備品を消毒してこまめな換気を心がけましょう。 話題になっている次亜塩素酸水の噴霧やサーキュレーターを使った換気がお勧めです。

次の

コロナウィルスの影響で整体院の存続が危ぶまれています!

コロナ 整体

相対性理論、量子力学などの物理学革命、フロイトの精神分析。 ヘンリー・フォードの大衆自動車、ライト兄弟の飛行機などに始まる交通革命。 第1次世界大戦、ロシア革命。 映画、レコードやラジオの大衆化、ピカソ、デュシャンなどのモダンアートの開花。 漱石自身が得もいわれぬ不安に苛まれていたということでもあります。 第1次大戦(=「スペイン風邪」大流行)の前年、1916年に亡くなりました。 今日の社会のシステムは100年前と比べて巨大かつ精緻、スピードと効率化もはるかに進んでいるといえます。 にもかかわらず、未知のウィルスへの対処法(マスクと隔離)については今と100年前、ほぼ差がありません。 100年前の日本の人口は、今の半分弱の5500万人ほどですが、「スペイン風邪」によって、40万人ほどが亡くなったといわれています。 とんでもないパンデミックです。 その後、60年ほど前の「アジア風邪」では、日本で幼児、高齢者を中心に超過死亡数2万4000人(世界ではアジアを中心に超過死亡数200万人以上 )といわれています。 私にも、なんとなく学級か学年閉鎖で、学校が休みになって、遊び回って楽しかったという記憶があります。 小学1年生のころですから、幼くて何が起こっているのか分からなかったのか? それにしても「家にいておとなしくしていろ」と言われたような記憶はありません。 冷戦下で大気中の核実験が何度も行われ、「放射能が降ってくるから、雨に当たるな」と学校で教えられたころでもありますが、「放射能の雨だ~」といいながらわざと雨に当たったりして遊んでいました。 核にはもっとも敏感な国だったはずなのですが、のんきなものだったと思います。 戦後まもなくのころでもあり、死が今よりずっと身近でした。 多くの場合自宅で亡くなる。 人工呼吸器などはないわけで延命手段がほとんどない。 だから、死は諦めるしかないことが多く、不安になる余地(暇?)もそれだけ少なかったのではないかと思います。 このこともやはり不安を増幅する要因になっているでしょう。 情報化社会といわれますが、新型コロナに関しては未知のことが多すぎて、不確実性(リスクの計算そのものができない)が高いために、当然不安は高まります。 一方、情報が多いほど安心できるかというと、むしろ情報が多いほど逆に、もっと不安になります。 これは日々情報にさらされている多くの人が体感していることです。 このジレンマを私たちの身心は生きているわけです。 これも無知というよりは、不安の裏返しというべきでしょう。 不安が本質です。 不安と不確実性は、システムが高度化、効率化するほどむしろ高くなるように見えます。 ほんのわずかのほころびが連鎖的崩壊につながる。 リーマンショックがそうでしたね。 本来リスク回避ためのものだった金融技術が、システム崩壊を生んだのも皮肉でした。 不確実性と「いつどうなるかわからない」慢性不安は、高度に効率化されるほど、抱えざるをえないのだと思います。 それに比べると、今日のコロナ禍が経済におよぼす影響は、100年前よりスピードも速く、はるかに大きいと思われます。 世界全体が効率よく不可分にシステム化されているだけ、あっという間に世界経済がシステムダウンしてしまいました。 社会の中に、遊び、いい加減さ、無駄、無意味、無能(=多様性?)を抱えている方が、安心と安定につながる。 本来、隙間・遊び・ゆるさの中に安心の本質があるのだとあらためて思います。 不安を抱えた身体=ヒリヒリする胸(=膻中) 100年前の身体と今の身体、生物学的には変わっていないでしょう。 しかし環境が変化すれば、それに適応する身体のバランスのとり方、感受性は変化します。 この40年間、整体の現場で身体の反応を観察し続けてきたわけですが、その中でとくに目立ったのが胸の真ん中(膻中)を中心に身心の反応が過敏化してきたということです。 胸の真ん中(膻中というツボ=胸骨が少し出っ張っているところ・男性なら乳首の間)が、不安の渦中にあるときは敏感になって、触れるとヒリヒリします。 膻中は同時に、対人的な距離感のセンサーとしても働きます。 この数十年の間に、人と人の間の距離感はすでに大きく変わりつつあったと思います。 例えば、行列している人と人の間の距離のとり方は、60年前私が子どもだったころには、今よりもずっと近かったという記憶があります。 今では死語ですが、行列には「横入り」というものがあった。 ちょっと前の人との間が空いているとその間にちゃっかり入り込む人がかならずいる。 うかうか並んでいられなかったのです。 近年では(コロナ前でも)、昔ならすぐに「横入り」されるような間の空け方が普通になっています。 前に並んでいる人との距離のとり方は、人によっても違います。 駅のホームなどで並んでいる人たちを横から観察していると、他の人が間を簡単にすり抜けられそうな感じに距離をとっている人が必ずいます。 目の前の人との間の距離は意識してとることもありますが、基本的に無意識的です。 胸のセンサー(=膻中)が敏感な人ほど、人に近づくときに圧迫感を感じやすいのです。 つまり膻中が敏感なほど、無意識に人との距離を遠めにとるわけです。 これは人間関係の距離感でもあります。 とくに若い世代ほど、近い関係、濃い関係を「熱苦しい」と感じやすくなっているのです。 人間関係はデリケートになり、若者同士が激しく議論して喧嘩をしたりしながら、熱い友情が生まれたりということも、世代が若くなるほど少なくなりました。 昔は若い世代ほど熱くなりやすく、年長者がなだめるというのが基本だったのですが…。 一方、血海は骨盤を引き締め、下腹を温め、集中・安定を促します。 対照的な働きをする両者です。 その位置も膝を挟んで点対称の位置にあります。 しかし互いの関係は、対抗的というよりは相補的なものです。 足三里が発散・流動化を促すと、その途上では様々な症状が生まれもしますが、身心はリラックスに向かい、骨盤がゆるみきりリラックスしきると、呼吸は深くなり、全身がリセットされて骨盤も一転して引き締まります。 この引き締まるときに発動するのが血海なのですが、足三里がよく働いてくれた場合ほど血海も働きやすくなり、逆もまたいえます。 この数年の身体の動静を見てくると、両者の活動が同時に高まることも珍しくなくなっています。 (2018. note 「」) 2000年代、激しくなる気象変動・地殻変動・社会変動の中で、変動に適応しようとする私たちの身体は、リラックスと排泄を促す 足三里と、集中と安定性を高める 血海とが、どちらかが優位になったり、補い合ったりしながら高い反応を示してきました。 昨年2019年は春に活発化するべき足三里の反応がはっきりせず、今年の春もはっきりした反応をしませんでした。 一方、血海は2018年の5月以降、季節を超えて2020年の現在6月になっても、ますます高い反応をしています。 なんのために血海の反応が高いままなのか、ずっと考えておりました。 コロナ以前には、気候変動の激しさに対して身心を安定させようとする反応かな~と思っていましたが、コロナ禍の今は、この激動に対する(予期を含む)本能的身構えかと思うようになりました。 血海は「縁の下の力持ち」なんですが、この数ヶ月何度もtweetしてきた胸椎11番(曲池と連動)は、身体の過剰反応としてのアレルギーや不安・パニックなどに即応して、安定させるように集中度を上げ下げするように機能します。 集中のスイッチが入ると胸椎11番が持ち上がって上の胸椎10番とくっついて硬くなります(第11肋骨も第10肋骨にくっつく)。 ちょっと気がゆるむと右側だけゆるんで左側の緊張が取り残され、肋骨の左横の一番下(11肋骨先端)に触れると、硬くピリッと痛みます。 この左右の差が大きくなるほど、疲れを感じたり、いらいらしたり、どこかが痛くなったり、様々な症状が生まれやすくなります。 社会的緊張感が続くかぎり、胸椎11番は懸命に働くことになるでしょう。 ここを少しずつ休めるということが、私たちにとって、ここしばらくをしのぎ切る鍵になりそうです。 身がままリポート.

次の